屋我地マースとは
屋我地の塩づくりは、那覇泊潟原の眞喜志親雲上康嗣らによる「入浜式塩田」で始められ、以後北部で有数の塩の産地として栄えました。
その塩田も明治38年の塩専売法の施行、また人力だけに頼っていた製塩作業も、海水から直接塩をとることのできるイオン樹脂交換模法などの機械化におされ、昭和40年前後には自然終息的に終えることになります。
現在、屋我地には我部、運天原、済井出、饒平名にそれぞれ塩田のあとが残っています。屋我地の我部は、今帰仁間切の下我部より1736年(道光 1年)蔡温の山林政策によって村落移動してきた村です。現在の今帰仁村湧川の下我部にあるスーヤーの御嶽は製塩の始まりの地と伝えられています。
残念ながら、昭和35年頃以降には廃れてしまいましたが、ミネラルがたっぷり含まれた旨みのある屋我地の塩を懐かしむ声も多く聞かれていました。
平成18年、唯一「入浜式製塩法」を知る照屋秀利さん(8?歳)の指導を受け、かつての塩田跡を再生。屋我地の塩作りに昔携わっていた匠の知恵と技を継承し、昔ながらの「屋我地マース(塩)」を復活させました。
再生当初、経験者の指導を仰いだにも関わらず良い塩にはならなく、来る日も来る日も失敗の連続でした。また、再生した入浜式塩田の砂が塩造りの砂になるには2年以上の歳月を要ました。
潮の満ち引きの差を利用して海水を塩田に引き入れ、毛細管現象によって砂を湿らせた塩田を「入浜式塩田」といいます。 その為、塩田は満潮時の海面より低い所に塩田面があります。
浜溝に海水を導き、毛細管現象によって砂層上部に海水を供給し、太陽熱と風で水分を蒸発させ、砂に塩分を付着させます。この砂をかき集め、ろ過装置にいれて、海水を流し込み、より濃い塩水(かん水)を採ります。
この方法は潮の干満差を利用した画期的な方法で、屋我地地区では明治15年から昭和35年ごろまで行われていました。
ミネラルは生体にとって欠かせない糖質、脂質、蛋白質、ビタミンと並び五大栄養素の一つです。
厚生労働省によって12成分(亜鉛・カリウム・カルシウム・クロム・セレン・鉄・銅・ナトリウム・マグネシウム・マンガン・ヨウ素・リン)が示されています。
しかし、現代人はミネラル不足といわれてます。
ミネラルたっぷりの屋我地マースで美味しい料理を食べてイキイキ健康生活を!
屋我地マース成分表
エネルギー | 7kcal |
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たんぱく質 | 0.1g |
脂質 | 0.1g |
炭水化物 | 1.7g |
ナトリウム | 32.0g |
カリウム | 150mg |
カルシウム | 315mg |
マグネシウム | 513mg |
リン | 0mg |
鉄 | 1.3mg |
銅 | 0.02mg |
銅 | 0.02mg |
亜鉛 | 0.15mg |
ドローンを使った上空からの風景